職業ナカトリモチ

神と人を結ぶ神主さんを中執持といいます。 糸島・金沢を舞台に神社の奉仕、地元を案内するガイド・添乗員、予備自衛官・防災士などの様々な活動をしながら日々の事を綴るブログです。救命講習、 パソコンや進路指導、観光、郷土史や神話の各種講師業も行なっております。

天業奉戴

燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや

燕や雀のような小鳥が、大鳥の志を知るはずもないであろうという意味です。私はいつもそう思って逆境に立ち向かっています。

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令和の時代となりました。

 

振り返れば、昭和に生まれましたが物心ついて間も無くに平成の世となり、幼少期、少年期、青年期はその31年間に濃密に過ごしました。

多くの人に助けられながら、自分の研鑽した結果だと自負しながらも神社界で神社本庁そして伊勢神宮での奉務し、全国神社でのご奉仕を経験できたことは矢張り、自分の力だけでは無かったのだと今の境遇を思えば実感できます。

 

郷里に戻り、境内社を神社として広く遍く押し広めようと努力してまいりましたが、不足の事も多く、思うに任せぬ年月が瞬く間に過ぎ去りました。或いはテレビ取材や新聞にも掲載頂いた私の活動や神社の事も、移ろいゆく中にはすぐ忘れさられました。

地元への恩返しだと、地域で果たすべき役割をと、副業の仕事も制限して当たってまいりましたが、結局そ努力も虚しく定職につけとご助言を受けます。成る程、齢40を手前にしてまだ何とか登用の道もあるようで故郷を離れるならば神主としてまた自らスキル活かす場所もあるようです。しかし私は此処で活動する為に、不安定な収入にも甘んじ大道を宣揚するにいかにするべきかと模索してきたのです。

お蔭様で、神主として以外にも資格や能力を身につけそれを用いて講演や講義、業務に携わる事が出来ています。しかし神社の維持運営はもとより家族を養うにも不足している現状です。どうにかしたいと足掻いていますが、難しい日々を過ごしています。

 

恂にありがたいことには、日本三霊山立山頂上にて神主として夏季は集中してご奉仕する事ができ、糊口をしのぐ事ができております。精神修養にもこの絶界は適しており、怠惰に流れがちな日常とは全く違った場所で生活しています。

 

ここ数年来はずっと、釈迦の教えと聖徳太子の事跡を研究しており、山ではじっくりとその偉業に触れまた考える時間を持てています。私は学者ではありませんから、実践の為にまた多くの人々にその顕彰を行う為に学びそして伝えたいと思っています。

 

冒頭の言葉「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」とは、些か諸先輩や同朋対して不遜な心持ちもありますものの、かような辛い状況なればこそ強い気持ちで今を乗り越えようと自らを奮い立たせる言葉です。理解して頂けないのは己の力量不足によるものですが、並々ならぬ自惚れで護国を目指しておりますから、悔しい時はいつもそう思っています。また平野国臣の歌「我が胸の燃ゆる思ひにくらぶれば煙はうすし桜島山」は決して曲げる事の無い気持ち強固にしてくれるものです。

 

何故、かような日々を送るのか。それはまさに我が天命であろうと思います。人は其々に役割を担っており、それは神仏やその他の信仰にのみによらず集団の中で生きていく上で欠かせぬものです。

私は偶々今の境遇を得、国体を護持し今の世を平らかなるものとする為に尽力し、神武天皇以来の天業を奉戴する使命を受けております。この事は勿論私だけが特別な使命を帯びているといった選民の話では無く、皆等しく与えられたものです。其々が其々の立場で全うする。何も特別な職業や活動をする事が総てではありません。

しかし私は、今世をより良くそして次世代の為に努力を惜しめない。身は例え赤貧に喘ぐとも、或いは孤軍奮闘すると雖も諦めません。