息子に仰天
もういつでも死ねる。だから、毎日頑張って生きられる。
桜のほころぶ今日は、結婚記念日だからと、仕事の打合せに呉服町まで向かうのを子どもら共々車で送ってもらって、そのまま待ってもらってた。
帰り道でせっかくだからと城下の大濠公園で遊ばせようとしたが下の子二人は調子が悪く妻は病院へ行った。
仕方なく私と上の子二人で行く。
たくさんの子どもで賑わう遊具コーナーでひとしきり遊んで、歩いてすぐの桜祭りの会場に向かった。少しであるがこづかいを渡して、子らは屋台で好きなものを買うことができ喜んでいた。私はタピオカは味がしないと知った。ドリンクが無くなる前に吸い尽くさないと微妙なことになってしまう。
そのまま石垣沿いの桜を眺めながら護国神社へ。せっかくなのでお参りした。
ふと英霊の遺書の掲示に目をやると糸島の人だった。26歳の青年は最期に母親へ言葉を遺したのだ。読み上げると、春から小学二年生になる娘はなんとなく理解したようで、その成長に驚いた。
5歳になったばかりの息子はどこかへ行きたがるが、ちゃんと説明したら段々にわかったようで泣きそうになっている。死ぬときは血がたくさん出るの、目も飛び出すの、と物騒なことを聞く。いちいちそうだと答えて、パパもみんなを守る為に戦って死ぬことになるかもしれないと伝えた。怖がらせてしまったと思ったが、息子の言葉に仰天した。
そしたらぼくが次に戦う
みんなを守れる男に育って欲しいと願ってきたが、こんなに早く自分が追い越されるとは。
もういつ死んでも差し支えないが、もう暫くはこの子らをしっかり守らねばならないと改めて決意した。
護国神社にお参りに行くというのは、こうした自分の気持ちを再確認するということもあるのかも知れない。